Life and Times
CBC 2004年10月放送
カナダで放送されたPaul のバイオグラフィー番組1


弟 トニー君とポール
   ポールのパパは軍人だったのでイギリス、ドイツ、アメリカなど彼は幼い頃引越しばかりしていました。なんと6回。彼は友達作りに苦労して時々トラブルも起こしていました。
イギリスではカナディアンアクセントのため随分いぢめられたそうです。(T_T)

ポールママ:
「ある日トロントの学校へ転校することになって新しい学校へ行ったのです。校長先生から学校の設備を案内されて、学校を出てからポールはこう言いました。”今度の学校は休み時間が少なくていいよ。”」
あーかわいそうな、ポール。一番たのしい時期なのに〜。

やがてポールはケンカの代わりに人を笑わすことで溶け込む術を学んだそうです。

ポールはアルバータ大学に進み脚本の勉強をしました。
彼は同じような才能の人がたくさんいるのに、ドラマに早くから出演できたのはとてもラッキーだったと言っています。

"Chasing Rainbows" (1988)  →

その後劇場用脚本を書きましたが、その一本が酷評されて彼は劇の世界から離れ、TV用脚本を書くようになりました。
John Krizanc(DSではATQH非道のテロなど多数)はMWBやH2Oなどポールと一緒に脚本を書きました。

彼は言います。
僕とポールはだいたいいつも朝10時から仕事を始めるんだ。で、彼はね全然食べないんだよ。朝食もランチも。僕が何も言わなかったら僕達飢えちゃうよ〜。」

←キーボードを打っている姿。並の速さではありません。機関銃のごとく打ってます。
その後ハリウッドを経て、Due SOUTH のベントンフレイザー役へ。
ポール:
「最初に話を聞いたときは「Stupid!」と思ったよ。でもスクリプトを読んだら今まで読んだもののなかで一番愉快だったんだよ。」

「DSのことをとても誇りに思っているよ。何故ならDSを愛しているから・・・でも何でそんなに好きなのかわからない。まだ謎だよ。」

DSでジャミニーアワードを受賞したとき→
奥様や家族のことを聞かれて

ポール:
「僕は若いときはとても粗野な人間だったんだ。結婚が僕を成長させてくれたよ。彼女ナシでは今の僕はありえない。
So I suppose I could say that I owe my self and life to her. 
↑ あーここまで言うか。ポール、奥様にぞっこんです。

二人の子供を持てたのは本当に幸せだよ。子供は視野を広くしてくれる。僕みたいな自己中な人には特にいいね。」

奥様:
私たちは結婚してから、ただ家に一緒にいるだけでよくなったの。子供たちと一緒にいれば特別なことをしなくてもね。」

お子様とすやすや・・・ →




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すみません。いつもながら訳はテキトーです。間違いがありましたらご指摘いただけると大変有難いです。
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